元プロ野球選手で、監督としても数々の実績を残した工藤公康さん。
現役時代は実働29年、通算224勝を挙げ、ソフトバンク監督時代には5度の日本一を達成するなど、球界を代表する名投手・名将として知られています。
そんな工藤公康さんを長年支えてきたのが、妻の雅子さんです。
雅子さんの若い頃の姿や、工藤公康さんとの馴れ初めが気になりますね。
そこで今回は、工藤公康さんの妻・雅子さんの若い頃の画像や2人の馴れ初めを紹介します。
【画像】工藤公康の妻の若い頃が美人!
工藤公康さんの妻・雅子さんは、若い頃に「水戸の梅むすめ」に選ばれていたそうです。

写真の真ん中に写っているのが、若い頃の雅子さんです。
着物が似合っていて、とっても美人ですよね!
結婚前の旧姓は、「喬木(きょうぼく)」というんだそう。
珍しい名字ですが、主に茨城県や神奈川県に多いとのことで、雅子さんも茨城県の出身です。
「水戸の梅むすめ」は、水戸の梅まつりなどで観光客を迎える役割を担ってきた存在でした。
制度が始まったのは1963年。
当初は、観梅期間中に来園者を迎えたり園内を案内したりする役割として、10人の「梅むすめ」が選ばれました。
その後、2001年に男性も応募できるようになり、名称も「水戸の梅大使」へ変更されています。
工藤公康と妻の馴れ初めは?
工藤公康さんと雅子さんの出会いについては、清原和博さんの紹介だったという説が広く紹介されています。
工藤公康さんと清原和博さんは、西武ライオンズ時代のチームメート。
2人は1980年代の西武黄金期を支えた選手で、渡辺久信さんとともに「新人類」と呼ばれた時代を象徴する存在でもありました。
工藤公康さんと雅子さんが結婚したのは、1989年のオフです。
当時、工藤公康さんは26歳でした。
この時期の工藤公康さんは、現在のイメージからは想像しにくいほど苦しい状況にありました。
1989年はわずか4勝に終わり、それまで3年連続で2桁勝利を挙げていた投手が突然の不振に陥っていたのです。
さらに健康診断では肝臓の数値が非常に悪く、医師から生活を改めなければ命に関わるという厳しい忠告を受けていました。
工藤公康のプロポーズは「野球を辞める」?
工藤公康さんと雅子さんの結婚エピソードで、特に有名なのがプロポーズです。
インタビューで工藤さん本人が語ったところによると、当時は「今年か来年でクビになるかもしれない」というほど、自分の野球人生に自信を失っていました。
そこで雅子さんに対して、もし野球を辞めたら田舎で暮らし、週末には子どもたちに野球を教えるような生活をしたいという話をしたそうです。
ところが雅子さんの反応は、単純に「それなら一緒に暮らそう」というものではありませんでした。
工藤公康さんが後に振り返ったところによれば、雅子さんは、野球を辞めて不摂生な生活をしなくなるなら、そのほうがいいという趣旨の返事をしたといいます。
そして結婚後、雅子さんは工藤さんに、
「どうせダメかもしれないなら、最後までやるだけやってみたら?」
と背中を押しました。
結婚後、雅子さんは栄養学を勉強し、毎日10品目以上の料理を作ったそうです!
結果、工藤さんは47歳まで現役を続け、1993年にはMVPを獲得し、通算224勝をあげることになりました。
工藤公康さんが長く現役を続けられたのも、奥さんの雅子さんの支えがあったからなんですね!
まとめ
【画像】工藤公康の妻の若い頃!結婚前の姿や馴れ初めについても紹介と題してお届けしました。
工藤公康さんの妻・雅子さんの若い頃は、「水戸の梅むすめ」に選ばれたそうで、とっても美人な方でした。
2人の馴れ初めは、清原和博さんの紹介だったと言われています。
結婚後は夫の健康を支え、工藤公康さんの長いキャリアを陰で支えてきました。
妻・雅子さんは、工藤公康さんが自分の人生を立て直す際の大きな支えとなった存在だったといえるでしょう。

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