元プロボクサーでタレントの具志堅用高さん。
片岡鶴太郎さんが始めたものまね「ちょっちゅね~」が大流行しましたよね。
今では天然キャラの面白いおじさんというイメージですが、昔若い頃の具志堅さんは、伝説の世界チャンピオンだったんです!
故郷の沖縄県石垣島には記念館も建てられており、その凄さがわかります。
今回はそんな具志堅用高さんについて、若い頃の年収や最後の試合、引退理由についても調べてみました。
それでは一緒に確認していきましょう!
具志堅用高の若い頃の年収はいくら?
過去、ある芸能情報番組に出演した際に具志堅さんは「プロになり21歳の段階ではファイトマネーだけで年間1億2000万円になっていた」と語っています。
人生変わったね、7~10回目の防衛の時はテレビの放映権が2億円だからね。
年間ファイトマネーだけで1億2000万円。これは手取りでね。
ジムは5億とかもらっていたでしょう。お金の感覚がわからなかったね。
よく遊びに行ったね。色々な好きなもの買ったり、税金も払ったな。
ファイトマネーの3試合分は税金だったね。だけど、楽しかった。
世界チャンピオンの時はすごかったね。友だちと色々なところへ行って食事したりね。引用元:https://times.abema.tv/articles/-/920002
21歳でファイトマネーの年収が1億2000万円!
すごいですよね!
具志堅さんは、プロになってからも5回目の世界王座防衛戦までアルバイトをしており、生活は楽ではなかったようです。
プロボクサーの平均年収を調べたところ、日本チャンピオンのファイトマネーは1試合100万円前後が多く、年収としては100万円×年間の試合数となってきます。
5試合すると年収500万円ということですが、他のプロスポーツ選手と比べると決して高いとはいえないですよね。
世界チャンピオンになるとファイトマネーも1000万円~5000万円になり、テレビの出演料、スポンサー契約料なども入ってきます。
引用元:https://careergarden.jp/boxer/salary/
そこにいくまでは、ボクシングだけでは生活できないのが現状みたいですね。
近年ではファイトマネーもどんどん上がってきてるようですが、具志堅さんの時代は今から約50年以上も前ですから、この時にこの金額はすごいですよね。
具志堅さんが「お金の感覚がわからなかった」というのも無理はないですね。
ジムは5億円とかもらっていたとのことですが、いろいろ引かれて具志堅さんの手取りは1億2000万ということだったんですかね?
ファイトマネーについては、具志堅さんがある時ファイトマネーの80万円を人に貸したところ、持ち逃げされたというエピソードもあります。
お金を借りに来る人がいるから貸してはいけないと言われていた具志堅さんは、この経験で「ああ、本当だったんだな」と思ったとのこと。
なんか具志堅さんの人柄がうかがえる出来事ですね。
最後の試合と引退理由について
具志堅さん最後の試合は、1981年3月8日に地元沖縄の具志川市立総合体育館で行われたメキシコのペドロ・フローレスとの戦いです。
引用元:https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1104494
最後の試合では、序盤に受けたパンチで目が見えにくくなり、途中からは記憶がなかったとのこと。
ダウンしたことも翌日知ったそうです。
記憶がなくなるほど殴られるって、考えると怖いですね。
自分だったら、毎回リングに上がることが恐怖になると思います。
具志堅さんは、この試合を最後に引退しています。
引退理由として、毎回楽しみにしていた軽量後のアイスが食べられなかったからとか、網膜剥離の治療のため1カ月間眼球に打つ注射が怖かったとかいろんな説がありますが、引退会見では「肝臓が思ったより悪くて、もうリングに上がる闘志が湧いてこない」と語っています。
小さいときからもともと内臓が弱く、視力も低下しており、この10年で体はぼろぼろになっていた。
世界チャンピオンを続けることが精神的にもつらかった。引用元:https://www.sankei.com/article/20220527-UYFZCTXIGNK6VLXT7VMW7V7XLA/
具志堅さんは引退する少し前、25歳のときに滝田香澄さんとご結婚されています。
引退を決意したのは、奥さんの香澄さんのことも考えてのことだったんではないかなと思います。
もし自分の旦那さんがプロボクサーだとすると、試合のたびに心配でしょうがないですよね。
新婚さんならなおさらです。
現役で戦える期間も短いことを考えると、早いうちに次の道を探したほうがいいような気もします。
1981年、具志堅さんが26歳のときに正式に引退発表されています。
まとめ
今回は、具志堅用高さんの若い頃の年収について、最後の試合と引退理由について調べました。
21歳のときにファイトマネーだけで1億2000万円というすごい金額を稼ぐまでは、アルバイトをしながらの苦しい生活だったということでした。
最後の試合は、沖縄の具志川市立総合体育館でのペドロ・フローレスとの戦いでした。
この試合で王座陥落、14度目の防衛にはならず引退しました。
引退理由としては、肝臓が悪いこと、視力低下などで元のようには戦えない、新婚の妻とも話し合って引退を決意したと語られていました。
こうやって見ると、ボクシングの世界って相当厳しいですね。
もちろんどんなスポーツでもプロの世界というのは厳しいものだと思いますが、野球やサッカー、ゴルフに比べると怪我の度合いも全然違いますし、選手寿命も短いですよね。
あれだけ殴られると、内臓や脳にもかなりのダメージを負い、下手すると後遺症が残ったりすると思うのですが、ボクシングに魅力を感じるのはやはり強さへの憧れなんでしょうか。
具志堅さんの戦績は、24戦23勝(15KO)1敗!
世界王座13度防衛という記録は今も破られていません。
今では天然キャラの面白いおじさんとして人気の具志堅さん。
若い頃、歴史に残るプロボクサーだったとは思えないような優しい笑顔が魅力的ですね。
タレントとしての今後の活躍にも注目です!
そういえば、こないだネットで沖縄のお菓子「ちょっちゅね」を見つけました。
どんな味なのかなあ。
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