サッカー日本代表の森保一(もりやす はじめ)監督。
W杯アジア2次予選が始まりましたね!
2022年のカタールワールドカップではクロアチアにPK戦で敗れましたが、ドイツやスペインの強豪チーム相手に日本代表を勝利に導きました。
若い頃の森保監督はいったいどんな選手だったのか気になります。
今回は、森保一監督の現役時代の活躍について、若い頃の画像と共にまとめました。
森保一監督の現役時代が話題!
ワールドカップアジア2次予選が始まり、森保監督の昔若い頃が話題になっています。
昔西嶋弘之選手から聞いた話…18歳で広島に入団した最初のキャンプで同部屋だったのが森保一選手。とても人間性の高い人でいい先輩だったそう。
引用元:https://twitter.com/mamachari66566/status/1598573398443331584
昔からとにかく森保一という選手が好きだった。まさか約30年後こんな事をしてくれるなんて… 最高や!ボクも頑張る!!
引用元:https://twitter.com/plushome_kayama/status/1598437242724548608
森保の息子見るからにイケメンなんだけど 森保一も昔はイケメンだったの?
引用元:https://twitter.com/amadfredamad/status/1449023881797201931
森保監督は、現役時代はどんな選手だったのでしょうか?
現役選手時代の姿も見たいですね!
森保一の若い頃【画像】
森保監督は若い頃、短気でやんちゃでした。
父親の洋記(ひろき)さんは、「よくここまでの指導者になれたなあ」と思ったそうです。
高校生のときの試合で、相手選手に飛びかかってけんかして、レッドカードを2回もらったというエピソードもあります。
W杯の試合後、スーツ姿でファンに対してきっちりとお辞儀をする森保監督の姿からは想像できない話ですよね。
また高校2年のとき、サッカーの練習がきついという理由でサッカー部から逃げ出し、学校に行かず遊び歩いていたという過去もあります。
これだけ聞くと、森保監督は若い頃はけんかっ早くて相当やんちゃなイメージですが、本当はとても仲間思いでサッカーに対しても真剣に取り組む真面目で一生懸命な性格なんです。
先述のレッドカードを2回もらったときも、実は味方の選手がラフプレー(乱暴なプレーのこと)でやられたため仲間を助けるためにそんな行動をとりました。
きつい練習から逃げた後も、結局1週間ほどで戻り、頭を丸めて必死に謝罪しています。
このことから森保一監督の若い頃は、困っている仲間がいれば助ける、自分が悪かったと思えば素直に謝罪する真面目な人だったということがわかります。
森保一 現役時代はどんな選手だった?
・【1987年~1992年 マツダ・マツダSC東洋】
高校卒業時、全く無名だった森保選手は日本サッカーリーグ・マツダ(現在のサンフレッチェ広島)の今西和男監督に見出され、同クラブでプレーすることになります。
入団当初は評価も最下位でしたが、当時の森保選手に対して今西監督は「技術もスピードもなかったけど、常に上を向いているところが気になった」と語っています。
普段から人一倍練習を重ねていた森保選手は、1991年にマツダとプロ契約を結ぶことになります。
入団当初はひとりだけ子会社勤務で、同期の人たちとは給料面でも低かったのですが、とにかくサッカーを続けられればいいという強い思いがあった森保選手。
本当にサッカーが大好きなんだなということが伝わってきますね。
マツダとプロ契約を結んだ翌年、ハンス・オフト氏が日本代表監督に就任すると森保選手は日本代表に召集されます。
このとき無名だった森保選手を知らなかった人は、「森保一」が読めなかったとのこと。
確かに最初見たときは「モリヤス」って読めないですよね。
学生の時もたびたび「森 保一」と間違えられ、愛称の「ポイチ」はそこからきているということですよ。
・【1992年~2001年 サンフレッチェ広島】
1993年のJリーグ開幕後は、サンフレッチェ広島の選手として活躍。
1994年のサントリーシリーズでは初優勝を果たし、森保選手はなくてはならない中心の選手でした。
現役時代の森保選手がゴールを決める姿が見られる動画がありましたので、ご紹介します。
かなり離れたところからゴールを決める若い頃の森保選手、かっこいいですね!
森保選手の利き足は右足ですが、見ていると左足でシュートも決めています。
右も左も使えるってすごいです!
森保選手のポジションはミッドフィールダーで守備が主ですが、攻撃の起点をつくるため攻めの技術も求められます。
どのようにパスを回していくか試合の流れを読んで、冷静な判断も必要な重要なポジションといえるでしょう。
森保選手といえば「ボランチ」という言葉を定着させた人物でもありますが、山口素弘選手がボランチに着くようになり森保選手は代表から遠ざかることになりました。
・【1998年 京都パープルサンガ、2002年~2003年 ベガルタ仙台】
1998年、オフト氏に誘われ京都パープルサンガにレンタル移籍します。
そして2002年にはベガルタ仙台に移籍しますが、2004年1月に正式に現役引退しています。
まとめ
森保一監督の若い頃
けんかっ早くてやんちゃだったそうですが、困っている仲間がいれば助ける、自分が悪かったと思えば素直に謝罪する真面目な人でした。
森保一、現役時代はどんな選手だった?
ポジションはミッドフィールダーで、「ボランチ」という言葉を定着させた人物でもありました。
右足でも左足でもシュートを決める姿はかっこいいですね!
今後の活躍にも期待しています!
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